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元騎手・調教師 増沢 末夫

鈴木勝太郎(現調教師・鈴木康弘師の父)厩舎に入門し、1955年に馬事公苑騎手養成長期課程を受講。その後、1957年に騎手デビューし、1966年に28歳にして日本ダービーをアサデンコウで優勝。1973年には大井出身のハイセイコーの主戦騎手を務め、第一次競馬ブームの立役者となる。また、ハイセイコー引退に際して発売された『さらばハイセイコー』は増沢氏自らが歌い、45万枚を売り上げる大ヒットとなり、競馬ファンならずとも世の多くの人の知るところとなる。

その後の活躍も特筆するに値するもので、40歳となった1977年に74勝を挙げ初の関東リーディングになると、1981年に44歳で初の全国リーディングジョッキー獲得、1984年には当時野平祐二騎手が持っていた最多勝利数の記録を更新。そして1986年にはダイナガリバーで2度目のダービー制覇を果たし、1988年に48歳で史上最年長ダービージョッキーに。さらに50代となっても年間100勝を達成するなど、引退する1992年までになんと2016勝を挙げ、中央競馬史上初の2000勝ジョッキーとなる偉業を達成し「鉄人」「記録男」の異名を取った。

騎乗スタイルにおいては、スタートが飛び抜けて上手く、逃げが大得意。「増沢マジック」と呼ばれる絶妙なペースでの逃げを披露することが多く、「増沢が4コーナーで後ろを振り向いたときは勝利を確信した時」とファン、そして騎手の間でも言われていたほどで、他とは一線を画す、卓越した騎乗技術を持っていた。

ジョッキーとして記憶にも記録にも残る大活躍を遂げ、引退後は調教師に転身。1993年に美浦に厩舎を開業すると、開業初年度に早々に重賞制覇を果たし、順調に勝ち星を伸ばす。05年にはストロングブラッドで交流GⅠのかしわ記念を制するなど、通算3165戦279勝の成績を残し、2008年に惜しまれつつ定年で引退。

2013年、「態勢が整ったので、オレもファンのためにもうひと肌脱ぐことにした」ということで、ついに当社情報ルートに迎え入れ、境勝太郎氏の後を継ぎ当社最高顧問への就任が決定。これまでの活躍と誰からも愛されるきさくな人柄から、築いてきた人脈は超一流。競馬関係者ならずともその名を知らない人はいないほどの、まさに名実ともに競馬界の第一人者であり、その人脈は騎手、調教師だけにとどまらず、これまで懇意にしてきた多数の馬主、生産関係者、牧場関係者など、必要な情報はありとあらゆるルートから入手可能。

また「まっさんがいるなら自分も参加させて欲しい」と他の大物関係者も続々と情報ルートに参加する相乗効果を見せ、「あの増沢先生にならどんなことでも協力します」と多方面の関係者からも協力を惜しまない声が出ていることは言うまでもない。

元調教師 境 征勝

日本大学法学部を卒業後、北海道の牧場での修行を経て、1969年から父である境勝太郎厩舎の調教助手を務める。境勝太郎師の右腕として尽力し、天皇賞馬スリージャイアンツなどの名馬育成に携わった。

1983年に美浦トレーニングセンターにて厩舎を開業。2002年には中山開催7週連続勝利を記録。当時、中央場所のみでの記録達成は偉業だった。実は「8週目にも勝てる馬はいたんだが馬主さんの都合を優先した」との裏話があった。まだ調教師の権力が強かった時代から、「いかに馬主さんを大事にして儲けさせるか」を第一に考えている先見の明を持ち、新記録よりも馬主を優先する辺りに征勝師のポリシーが伺える。

2011年12月20日惜しまれつつ調教師を引退したが、現在も現役調教師や厩舎開業を志す関係者から助言を仰がれている存在。

【偉大なる父】境勝太郎と言えば、当社最高顧問としての活躍は会員様ならよくご存じでしょうが、騎手として1936年から29年間に渡り活躍し、皐月賞(クリヤマト)、桜花賞(トサミツル)、秋の天皇賞(クインナルビー)を含む通算536勝をマーク。その後、開業した厩舎では日本ダービー(サクラチヨノオー)、天皇賞(サクラユタカオー・サクラローレル)などで春秋4勝、有馬記念(サクラローレル)などGI14勝を含む重賞53勝を挙げ、31年間で5202戦656勝の成績を残した。

2012年、当社最高顧問を務めた境勝太郎氏に続き当社情報ルートに就任。親子二代で築き上げて来た人脈は間違いなく競馬界最高峰。「勝太郎先生だけでなく征勝先生もいるのなら」と協力を申し出る関係者は更に増え、業界内での当社の信頼を更に深めただけでなく、より強固な情報網確立に繋がっている。

業界最高峰と言われる人脈と情報力は、当然ながら多くの関係者の欲望と思惑が絡み合う大レースで発揮され、就任直後の高松宮記念(2012年:5930円的中)では、新聞紙上圧倒的人気馬を▲評価とし、情報通りの着順で完璧なまでの的中馬券を全会員様にプレゼント。

「軽い挨拶程度」の情報でこの結果、今後の情報に大きな期待が寄せられる。

元調教師 平井 雄二

1965年、東京競馬場稲葉幸夫厩舎の騎手候補となり1969年に騎手デビュー。1985年2月に調教師試験合格に伴い引退。騎手時代は主に障害での騎乗が多かったが、関東の調教師を始め幅広く関係者からの信頼を得て重賞4勝をあげる活躍を見せた。

厩舎開業当初に管理していたのが、今なお名馬して語り継がれているサクラスターオー。生まれながら前脚に不安を抱えていた同馬で皐月賞を制しただけでなく、故障明けの菊花賞も勝利し2冠に導いた手腕は、関東、関西を問わず数多くの関係者から賞賛の声があがった。現役を退いた今なお、平井氏にアドバイスを求める関係者の姿が絶えない所以の1つとなっている。

また、2006年アイビスサマーダッシュをサチノスイーティーで勝利。平井氏の弟子である鈴来騎手にとってはこれが重賞初勝利。師弟関係が薄くなりつつある競馬界の中で、人と人との絆を大事にする平井氏の姿勢が、トレセン内の関係者に留まらず馬主や生産者などからも大きな信頼へと繋がっている。

2011年12月惜しまれつつ調教師を引退。その直後から当社情報ルートに正式就任。

46年に渡る現役時代に築きあげた太い人脈は現役で活躍する調教師、騎手は勿論の事、馬主関係者や生産者など多岐に渡り、その人望の厚さは絶大。当社情報ルートの取材がより一層しやすくなっただけでなく、「平井先生のところだから特別に話します」と、現役関係者から進んで情報の提供を申し出る人間が更に増えた事は言うまでもない。

当社の重賞メイン特捜班・最高責任者に就任し、その就任発表日の2012年1月5日には、京都金杯でイキナリの特大万馬券(6万8090円的中)的中や、メインレースで13週連続で万馬券的中など、平井氏の影響力、情報力は即座に発揮されている。

元調教師 中野渡 清一

1961年騎手としてデビュー。1968年 ルピナスでのオークス制覇を始め、重賞9勝、通算566勝。1976年 本郷厩舎に入厩したマルゼンスキーと出会う。

手綱を取った8戦全てで勝利。当時の規則で「持込馬」だったマルゼンスキーにはクラシックへの出走資格がなく、中野渡氏が残した「28頭立ての大外枠でもいい。賞金なんか貰わなくていい。他の馬の邪魔もしない。この馬の力を試したいからマルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ」というコメントは後世にまで語り継がれるほどあまりにも有名。「出走していれば、大外枠でも間違いなく勝てた」とは本人談。その圧倒的なスピードでファンを魅了し、未だにマルゼンスキーを史上最強馬として推す声は多い。

1988年調教師試験合格に伴い騎手を引退。翌1989年より美浦トレーニングセンターに厩舎を開業。2010年10月20日付で惜しまれつつ調教師を引退。そして、引退と同時に当社情報ルートへ正式就任。

騎手として28年間、調教師として22年間、計50年に渡って築き上げた実績と人脈は、関東No.1の呼び声も高く、義理・人情に厚い誠実な人柄から現役・OBを問わず中野渡氏を慕う関係者は非常に多い。

勿論、今でもアドバイスを求めにやってくる調教師、騎手は後を立たず、歩様を見ただけでその馬の調子が分かる相馬眼、展開を的確に読み、どうやって乗れば勝てるかといった戦術眼は、当社の強力な武器。当社情報ルートへの参加が正式発表された直後から、「中野渡先生のところなら」「中野渡先生の為にも」と進んで協力を申し出る現役関係者が急増。

就任直後には“挨拶代り”として秋の天皇賞(2010年:◎○▲7480円)を完璧に仕留め、その後も完全無印馬からの大勝負レースなど、会員様の記憶に深く刻まれている伝説の勝負レースに数多く関わる。

元騎手 安田富男

1968年3月に騎手免許を取得。1976年グリーングラスでの菊花賞制覇を初め、重賞37勝、通算758勝。1996年にはノーブルグラスで札幌スプリントSを制し、騎手史上初めてとなる10競馬場重賞制覇の偉業を成し遂げる。

気さくな人柄と大胆な騎乗で競馬ファンからは「穴男」と親しまれ、関係者からの人望も厚く、競馬界に留まらずその人望は多岐に渡る。一流騎手として33年間活躍し、築いた人脈は多方面で多大。相馬眼はもちろん、全ての競馬場の特性、コース別、距離別のレース展開、乗り方を熟知する。

2001年9月2日惜しまれながら引退。そして、引退の翌日に当社情報ルートとしての就任を披露するという、当時では考えられなかった衝撃的なデビューは、今でも業界内では語り草になっている程。

現在活躍中のジョッキーは皆後輩に当り、引退後も現役騎手達からアドバイスを求められる程で、当然この人物には掛け値なしで誰もが話をし、他のトラックマンには言わない話、「新聞には書かないで下さいね」といった話も実に多い。

又、元騎手という立場から、話を聞くだけでなく実際に自ら跨ってその感触を確かめる事までしている。そこまでした上で入ってくる情報は正に的確。公に出来ない情報と、自ら確かめた感触からの真の情報と言えるもので馬券に直結する。
乗っていた者にしか分からない全競馬場の特性、仕掛け処、騎手の癖、馬の癖等々殆どを把握している。

元騎手 モザイク

騎手として20年間在籍し、現在は美浦トレセンから10分の圏内にある、28馬房を所有する某育成牧場の代表を務める。

バリバリの現役関係者ということもあり、実名の公開は控えさせて頂いておりますが、GⅠ馬を輩出しているT厩舎、A厩舎、S厩舎をはじめとした、美浦の有力厩舎はもちろんのこと、栗東のS厩舎、M厩舎、T厩舎など関西の有力厩舎との繋がりも深い。また、ダイワ、シチー、トーホウなど大手馬主とも親密な関係を築いている。

有力馬を多く抱える厩舎の殆どが外厩をフルに活用している現代競馬において、外厩でキッチリ仕上げてトレセン入厩後はそれ程強い追い切りを行わずレースに出走させるケースは多々あります。しかしながら、トレセンでの追い切り時計もロクに取れず、新聞社間で使い回してマスコミ関係者が、外厩でどれだけ仕上げられたかを知る術は皆無と言えます。

外厩でどれだけ仕上げられたかを知る事は、より確実に的中馬券を掴む上で非常に重要であることは言うまでもありません。当社の情報力が業界最高峰と言われるのも、早くから外厩情報ルートを強化していたからと言っても過言ではありません。

【参考】最近の主なトレセン近郊牧場(厩舎関係者の間では外厩とも言われている)

関東
・山元トレーニングセンター ・ノーザンファーム天栄 ・吉澤ステーブル ・クリスモルステーブル
・鉾田トレーニングセンター ・セグチレーシングステーブル ・梶村ステーブル ・榊原ステーブル
・ミッドウェイファーム ・スピリットファーム
関西
・ノーザンファームしがらき ・グリーンウッドトレーニング ・宇治田原優駿ステーブル
・大山ヒルズ ・栄進牧場久世育成センター

自他共に認める業界最高峰の情報網を構築しているのも、サクラローレルやサクラバクシンオーなど多数のGI馬を育て、“美浦の黄門様”として業界を引っ張ってきた故・境勝太郎元調教師や、公認OB会会長を務め上げ、“関西のドン”として絶対的な力を持っていた故・柳田次男元調教師など、競馬界の超大物が情報ルートとして活躍し、競馬界との太いパイプを築き上げてきたからです。


当社情報ルートは元騎手、元調教師、元助手、元厩務員といったOBから馬主、生産者、牧場関係者、騎手のエージェント、大手馬主の馬係、馬運車の運転手、獣医、大物競馬評論家といった現役の競馬関係者で構築されており、入手する情報は「新聞記者には言わなかったけど、実は・・・」といった、建て前や公式コメントではない、極限られた親しい人にしか打ち明けないような偽りの無い本音を聞きだせる人物ばかり。「この人じゃなければ絶対に聞けない」という情報が殆どです。

現役の競馬関係者が多数在籍しているため、実名を挙げると本業に支障をきたしてしまう人もいるので、当社では全て「情報ルートNo.」で管理していますが、名前を聞けば皆様ビックリするような大物競馬関係者ばかり。一人で情報提供会社が1社や2社つくれる程の経験、人脈、情報網を持っています。